【京都のここが好きなんです!】(弁護士・八木香織)

こんにちは。クロスオーバーネットワークの八木香織です。

 

季節がぐるんっと回りました。10月に入っても半袖でいた私は慌てて長袖をひっぱりだしてきました。今年の冬は寒いのかしら。外の空気が一変しました。

 

空気といえば、今回のテーマ。私の京都の好きなところは、京都のその空気なんです。空気といっても、信州や北海道のような自然いっぱいの、思わず深呼吸したくなるような空気とは違う。なんて言えばいいのか。空気に漂う京都感とでも言えばいいのかしら。

 

私は大阪に住んでいますが、中学から京都の学校だったので、もうかれこれウン十年通っています。町並みなどは本当に変わりました。年がばれそうで嫌ですが、地下鉄東西線の開通も覚えています。そこまで遡らなくても、ほんの数年前のインバウンド景気、もう町中がひっくり返るほど観光客であふれ、新しい商業施設もどんどん出来ました。

 

 

でも、この京都の空気感だけは変わらない。東京発のなんたらかんたらってお店ができても、流行りのデザイナーのどんな建物ができようと、京都にあればそれはもう京都のものになってしまうこと。

 

よく京都の方から、京都の人間は新しいもん好きって言葉を聞きます。京都の人のいう新しい物好きってのは、そんじょそこらの新しいもの好きとはわけが違う。京都の人にとって新しい物とは、大袈裟に言えば、京都の歴史千年の中で新しくうまれたもの。大阪や東京のようにほんの数十年前に出来たものを壊して作った、京都の人から言わせれば昔からあった物の猿真似とはわけが違う。

 

だからやっぱり、京都のこの空気は、そこに住んでいる人がつくっているのでしょうか。どんな時代の変化があっても、生活の中にある京都に生きている誇りのようなもの。どんな困難も、その誇りで乗り切ってきた自負心。だから、その困難を乗り切った後に、京都に残っている物は、本当の意味で新しい物。ほんまもんってやつ。それがつくる京都の空気感。

 

と、と、勝手なことしゃべり過ぎました。「大阪の人がなんも知らんとなにいうてはるんや」と京都の人いけずな言葉が聞こえてきました。でも、京都の人の一見いけずな感じの中の深い思いやり。ずけずけと知らん人にあめちゃんあげそうになる大阪人にも、しみじみと身にしみます。

 

弁護士 八木香織